【横浜市港南区】源為朝が隠れ住んでいたと伝わる上大岡には「源為朝の祠」があります
港南区上大岡東一丁目付近の丘に「源為朝の祠」があるのをご存知ですか?為朝は、源為義の八番目の子で鎮西八郎とよばれていましたが、保元の乱で崇徳上皇に味方して戦い、やぶれたために落人となり、ここに隠れ住んだといわれています。
今でも毎年4月になると近隣の人々が供養されているそうです。また、この丘のふもとには、為朝の妻の墓といわれている笠石もあるとのこと。
祠の中には「港南の昔話」が書かれた紙がありました。「源為朝の隠れ里」というタイトルで、広報よこはま港南区版2008年8月号から抜粋されたもののようです。
裏面には次のように書かれています。『この「源為朝の祠」の石碑には源為朝霊神鎮座と刻まれています。源為朝は源為義の8番目の子で、鎮西八郎と呼ばれていました。1156年の保元の乱で父とともに崇徳上皇に味方して戦い、敗れた為に落人となり、この地に隠れ住んだと言われています。逃れたが後に捕まり、自慢の弓を射ることが出来ないよう左腕の筋を抜かれ伊豆大島に流されたという説があります。琉球の正史である「中山世鑑」には源為朝は琉球(沖縄)へ逃れ、その子が琉球王朝の始祖とされる舜天になったとされています。設置 港南区食生活等改善推進委員会 平成26年4月』京急本線上大岡駅から徒歩約5分ほどの場所に設置されていますので、興味のある方はぜひ行かれてみてくださいね。
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