【横浜市港南区】鎌倉幕府といえば鎌倉市、だけではなかった。港南区の上永谷には北条政子が馬を洗ったとされる場所があります。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放映されていますが、ご覧になっていますか?

鎌倉幕府といえば鎌倉市ですが、隣接する横浜市栄区やそのとなりの港南区には、「いざ鎌倉の道」の鎌倉へと向かう古道が2本あったと言われています。

その一つが「中の道」で、大船→笠間→舞岡→日限地蔵尊→下永谷市民の森の西の端・鶴ヶ峰から武蔵国中央部を通って、宇都宮を経て奥州(東北方面)に向かう道で、1189年に源頼朝が奥州藤原氏を討つために向かった道と言われているそうです。

源頼朝像

※画像はイメージです 源頼朝像

もう一つの「下の道」は舞岡で「中の道」から分かれ、上永谷→最戸(餅井坂)→弘明寺→保土ヶ谷→千葉→茨城に向かう道です。

頼朝と政子

※画像はイメージです 頼朝と政子の像

上永谷駅の近くには頼朝の妻北条政子が弘明寺を参拝した際に、休憩して馬を洗ったと伝えられる「馬洗川」が流れています。環状2号線にある交差点「馬洗橋」付近には道案内板があります。

馬洗場

また、鎌倉幕府が開かれてから50年ほど経って人口が増えると、食料などの物資流通量が増えました。

鎌倉近くの「いざ鎌倉の道」は山の尾根道で、物資の輸送には不便だったことから、三代執権北条泰時(小栗旬さん演じる北条義時の嫡男)により、栄区笠間から柏尾川沿いの平地に新しい「中の道」が作られたそうです。

ちなみに泰時を演じる俳優さんが先日、発表されましたね。とっても楽しみです。

そして、鎌倉殿の13人の1人でもある和田義盛により、現在の野庭中央公園あたりに「関城」と呼ばれたかまくら道を監視する砦が造られました。

ちなみに現在の野庭団地一帯が関城だったようです。

野庭団地

また、守備隊の武士たちが訓練に使ったと言われる「力石」が今でも野庭の浄念寺に残っているそうです。

住んでいる場所が実は鎌倉幕府と深い関係があると知り、ワクワクした方もいるのではないでしょうか。ドラマが数倍楽しく観れそうですね。

武士

※画像はイメージです

もしかしたらこの先、港南区や栄区が劇中に出てくる?!なんてこともあるかもしれません。楽しみにその時を待ちたいと思います。

内容は親子で読むふるさと港南の歴史より引用させていただきました。

北条政子が馬を洗った場所と言われている馬洗橋はこちら↓

雨 玉子

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